カードゲーマーはわがまま
2018年8月3日 Magic: The Gathering コメント (11)
基本的に僕らは、事故で負けるのも、もしかしたら事故で勝つのも嫌いだ
そして、ファンデッキを使っててボコられるのも嫌だし、クソアグロで相手の土地が詰まってる間に叩きのめすのもあまり快感がない
僕らが思う最高の戦いとは、ギリギリの接戦をし、最後の最後の駆け引きに勝利して勝つことだ
ギリギリであることと勝つという所がポイントだ
著名な心理学者、アトキンソンの行った輪投げの実験から導かれた達成動機理論によると、人の達成欲求は成功率が50%の時がピークになるという
絶対性交するものや絶対失敗するものは楽しくないもので
簡単に例えれば、当たりしかないあみだくじや当たりのないあみだくじみたいなものだし、逆に丁半博打は理想的な50%ゲームといえる
何故50%の時に最も達成感が高くなるのか、この理論をもう少し解説する
基本的に、「達成感」というものはそれを達成するために使った労力が大きければ大きいほど大きくなる傾向にある
努力値5の事に成功すれば5の達成感を得られるし、努力値100の一大イベントを成功すれば100の達成感を得られるだろう
(余談だが、ソシャゲというのはこの努力値が0のままお金で小さい達成感を買える麻薬のようなもので、努力値0なので例え達成感が3くらいでも金のある限りは無限に達成欲求を満たせる、しかし個々の達成感が小さいので、満足できずにずっとやり続けるしかない。ドラクエみたいな数十時間かかってクリアするゲームはエンディングでそれなりの達成感がある、しかし時間と労力を使うので今のニーズとは合っていないのだと思う)
閑話休題
何故こういった現象が起きるかというと、人は成功率50%に近ければ近いことほど、成功した時に「自分の実力だ」と思ってしまうからである
輪投げの話でいうと、30m離れた場所から輪投げをしたとして、それが入ったところでそれは単に運が良かったとしか思わないし、0m離れたところから入れても誰でもできて当たり前だと思うのでやはり実力だとは思わない
ところが、成功率が50%に近付けば近づくほど、(例えそれが本当はただの運任せなことだったとしても)自分がどうするかによって結果が変わってくる錯覚に陥るのである(それこそ丁か半か選択することのように)
僕らがギリギリの勝負が好きなのはここの部分のことで、ギリギリな戦いであれば、自分が選択を間違えれば負けるし上手くやれば勝てるのである
(実際はどうかわからないが、少なくともやっている本人はそう思っている)
だからそれを乗り越えて勝てた時、「自分の実力が相手を上回った!」という快感が生まれ、楽しいと感じるのだ
だから僕たちはギリギリの勝負をしたい、そのうえで気持ちよく勝ちたい
圧倒的な勝利も、圧倒的な敗北も、等しく詰まらないのである(まぁ前者に対しては異論あるだろうけど)
カードゲーマーはわがままなのだ
そして、ファンデッキを使っててボコられるのも嫌だし、クソアグロで相手の土地が詰まってる間に叩きのめすのもあまり快感がない
僕らが思う最高の戦いとは、ギリギリの接戦をし、最後の最後の駆け引きに勝利して勝つことだ
ギリギリであることと勝つという所がポイントだ
著名な心理学者、アトキンソンの行った輪投げの実験から導かれた達成動機理論によると、人の達成欲求は成功率が50%の時がピークになるという
絶対
簡単に例えれば、当たりしかないあみだくじや当たりのないあみだくじみたいなものだし、逆に丁半博打は理想的な50%ゲームといえる
何故50%の時に最も達成感が高くなるのか、この理論をもう少し解説する
基本的に、「達成感」というものはそれを達成するために使った労力が大きければ大きいほど大きくなる傾向にある
努力値5の事に成功すれば5の達成感を得られるし、努力値100の一大イベントを成功すれば100の達成感を得られるだろう
(余談だが、ソシャゲというのはこの努力値が0のままお金で小さい達成感を買える麻薬のようなもので、努力値0なので例え達成感が3くらいでも金のある限りは無限に達成欲求を満たせる、しかし個々の達成感が小さいので、満足できずにずっとやり続けるしかない。ドラクエみたいな数十時間かかってクリアするゲームはエンディングでそれなりの達成感がある、しかし時間と労力を使うので今のニーズとは合っていないのだと思う)
閑話休題
何故こういった現象が起きるかというと、人は成功率50%に近ければ近いことほど、成功した時に「自分の実力だ」と思ってしまうからである
輪投げの話でいうと、30m離れた場所から輪投げをしたとして、それが入ったところでそれは単に運が良かったとしか思わないし、0m離れたところから入れても誰でもできて当たり前だと思うのでやはり実力だとは思わない
ところが、成功率が50%に近付けば近づくほど、(例えそれが本当はただの運任せなことだったとしても)自分がどうするかによって結果が変わってくる錯覚に陥るのである(それこそ丁か半か選択することのように)
僕らがギリギリの勝負が好きなのはここの部分のことで、ギリギリな戦いであれば、自分が選択を間違えれば負けるし上手くやれば勝てるのである
(実際はどうかわからないが、少なくともやっている本人はそう思っている)
だからそれを乗り越えて勝てた時、「自分の実力が相手を上回った!」という快感が生まれ、楽しいと感じるのだ
だから僕たちはギリギリの勝負をしたい、そのうえで気持ちよく勝ちたい
圧倒的な勝利も、圧倒的な敗北も、等しく詰まらないのである(まぁ前者に対しては異論あるだろうけど)
カードゲーマーはわがままなのだ
コメント
例えばスポーツゲーで「大嫌いな巨人を使って優勝」とかしても楽しくないじゃないですか
唐突な自分語りすいませぬ
にんげんだもの
はりい
フィンガーフレアラヴァアックスズ!
対戦相手に25点のダメージ!
>alc
やあジョニー 無限コンボは好きかい
フルスポイラー出るたびにコンボのネタ探してしまう君が好きだよ
ちなみに自分は「好きなモノを使って勝ちたい」という欲求を捨てて最適解(とされるモノ)を選んだ時、あるいは偶然好きなものが最適解だった時に勝率が伸びたり結果が出ていますね。
勝ち方にこだわるのは、楽じゃないですよ、ええ・・・(←トロンまみれの中ジャンド使うマン)
最初だけは使用感確かめる為の試作版である事が多いですが利用価値があると最初に踏んでない限りやらないからか研究を進めるうちにプラン自体が論外であると切り捨てられるパターンは滅多にない体感です(例外:市長の笏)
イクサランドラフトだけはどれだけ努力しても勝率50%付近に集約するクソ運ゲーで滅茶苦茶つまらなかったですね・・・
この時期は勝ってもあんまり嬉しく無かった 勝っても負けても運の要素がありありと見えてる事が多かったので
意外と俺達成意欲低いっぽいね 俺も勝てたらなんでもいいって考えだし
好みのデッキを周りの環境が変わろうと使い続ける人
勝ち負けよりもコンボの達成やゲームの楽しさ自体に満足を得る人
様々な人種がいるのがカードゲームの良い所だと思います
理想は漫画やアニメのように拮抗した試合からの逆転劇が熱いですが、実際は
なかなかそういう展開にはならないんだよねぇ・・・
(ゲスの極み)
実際、マジックで食ってくってわけでもないんですし好きなもんを好きなようにするのが素人にはベストっすよね
>z
勝とうという意思がある時点で達成意欲は高いと思うけどね
低い人というのは挑戦自体をあまりしたがらない
>h
とても恐ろしい状況
俺ならドロップしちゃうね
>k
僕は普段よく負けそうになったら最後までやらない時が多かったんですけど
基本2019セットのリミテで圧倒的不利展開から大逆転を何度かして、やっぱ最後の最後まであきらめちゃいかんなというのを思うようになりましたね
>t
トリマリは鳥人たんの十八番でしょ!(ゲソの極み