日々、繰り返される単調な営み
2018年10月22日 えっちな話 コメント (9)朝仕事に出て
合間にソシャゲして
帰ってアリーナとエロゲとツイッターDN
なんだこのルーティーンは
特にソシャゲとアリーナ
日々のボーナスがあるからやってしまう
いいカモである
僕は常々、ゲームは遊ぶものであり遊ばれるものでないと思っている
だからログインボーナスだとかデイリーミッションをやらないともったいないと惰性でやってしまうようになれば、それはもうゲームをやりたいからやっているのではなくゲームにやらされており、本当に楽しんでいないのではないかと思う
これまでのソシャゲはそうやって辞めてきた
けどまたやっちゃう くやしいビクンビクン
最近のソシャゲはマジでそんなんばっかで
とにかく連続してやらせようということに主眼を置いている
その点ダンジョンメーカーは面白かったが、作業が単純すぎて割と秋田
結局そこなのよね
閑話休題
人は飽きる生き物であるが、特に現代人は飽きるスピードも速い
ブームのローテーションが早くなっている、MTGのスタンのように
情報伝達技術の進歩によって、一定の情報がある属の全員にいきわたる速度が飛躍的に高まっている
これによって何が起こるのかというと、一部の先駆者と情報に踊らされる者だけになる現象である
例えばゲーム、携帯のなかった時代はゲームの攻略法はファミ通か攻略本か近所のゲーマーお兄さんだった
基本的には一方通行か伝聞、もしくは不確実な方法に委ねられており、特にファミ通や攻略本などはあればいいが基本的にはない場合のほうが多い(特に発売当初など)
そういった場合、ユーザーが取る手段、というか取れる手段は「とにかくやる」の一択であり、その過程を楽しみ、己が先駆者になろうと、なったらクラスでヒーローだった時代がある
やがてネットが発達し、wikiができた
便利なものだが、まだまだネットを使える人間が少なく、そんな時代にネットの勉強をしたり金をためてPCを買ったりしてるバイタリティの溢れる人間の多かった時代、もちろんPCの普及と共にそういった人の割合は減っていったが、まだ多くいた時代、この時代は皆が積極的に動き、全員で大きな情報共有媒体を作り上げようという気概があった時代
そしていま、ここ数年の動き
習慣でwikiというものは作られるが、ビッグタイトルはともかく、その他のタイトルに置いてはwikiはもはや全員で作るというものではなくなっている
上記のような人が減ったともとれるし、あるいは、コンテンツ自体があまりに多様化しすぎて単純に人が分散しているからともとれる
一部の物好きな人間が編集し、その他大勢はその情報を見て楽をするだけ
なのでその一部の物好きのデータが間違ってても誰も気づかないし、編集もしない、そしてその物好きが更新しない限り新しい情報も入ってこない
(もしくはアフィサイト管理人が人気なソシャゲコンテンツのwiki作って頑張って運営しているタイプもある)
まぁ何にせよ、MTGにしてもゲームのwikiにしてもだが
恐らく8割9割以上の人間は、ゲーム自体は楽しんでいるものの、ある程度遊んだらその後の最適解は他人任せ、というパターンが非常に多い気がする
何かつまったらすぐに攻略wikiを見てフラグをチェック、スタンで大会に出たいけどデッキがないから晴れる屋のデッキリストをコピペして足りないカードをシングル注文、万事こんな感じである
別にこの方法を非難するつもりはないし、娯楽なのだから各々が好きなようにやれば良い
だが一度こういう流れになってしまうと、色々とコンテンツにとって不都合なことが起きてくるのも事実である
例えば、先駆者は常に一定割合いるものの、数が少ない
ビッグタイトルで母数が大きい属なら良いが、少なくなると、本当に数人しか道を切り開く人間がいない、なんてことも稀にあったりする
こうなると次第に目新しいことは減っていき、コンテンツは停滞する
また、誤った情報が拡散されやすいというデメリットもあるし、全員が同じことばかりやってて面白くないという間接的な問題もある
先駆者というのは常に存在するが、それに追随する、自分達で道を切り開こうとする、もしくは先駆者達が切り開いた道とは違う道を見つけようとする、探検者(エクスプローラー)の存在が、コンテンツには必要だと思う
そして最後に、享受者(Enjoy person)の三者がいて、コンテンツがなりたつ
間の探検者が少ない、もしくはかなり減っているのが現代娯楽の特徴なんじゃないでしょうか
ようするに皆もっとオリジナルデッキ作ろうや
合間にソシャゲして
帰ってアリーナとエロゲとツイッターDN
なんだこのルーティーンは
特にソシャゲとアリーナ
日々のボーナスがあるからやってしまう
いいカモである
僕は常々、ゲームは遊ぶものであり遊ばれるものでないと思っている
だからログインボーナスだとかデイリーミッションをやらないともったいないと惰性でやってしまうようになれば、それはもうゲームをやりたいからやっているのではなくゲームにやらされており、本当に楽しんでいないのではないかと思う
これまでのソシャゲはそうやって辞めてきた
けどまたやっちゃう くやしいビクンビクン
最近のソシャゲはマジでそんなんばっかで
とにかく連続してやらせようということに主眼を置いている
その点ダンジョンメーカーは面白かったが、作業が単純すぎて割と秋田
結局そこなのよね
閑話休題
人は飽きる生き物であるが、特に現代人は飽きるスピードも速い
ブームのローテーションが早くなっている、MTGのスタンのように
情報伝達技術の進歩によって、一定の情報がある属の全員にいきわたる速度が飛躍的に高まっている
これによって何が起こるのかというと、一部の先駆者と情報に踊らされる者だけになる現象である
例えばゲーム、携帯のなかった時代はゲームの攻略法はファミ通か攻略本か近所のゲーマーお兄さんだった
基本的には一方通行か伝聞、もしくは不確実な方法に委ねられており、特にファミ通や攻略本などはあればいいが基本的にはない場合のほうが多い(特に発売当初など)
そういった場合、ユーザーが取る手段、というか取れる手段は「とにかくやる」の一択であり、その過程を楽しみ、己が先駆者になろうと、なったらクラスでヒーローだった時代がある
やがてネットが発達し、wikiができた
便利なものだが、まだまだネットを使える人間が少なく、そんな時代にネットの勉強をしたり金をためてPCを買ったりしてるバイタリティの溢れる人間の多かった時代、もちろんPCの普及と共にそういった人の割合は減っていったが、まだ多くいた時代、この時代は皆が積極的に動き、全員で大きな情報共有媒体を作り上げようという気概があった時代
そしていま、ここ数年の動き
習慣でwikiというものは作られるが、ビッグタイトルはともかく、その他のタイトルに置いてはwikiはもはや全員で作るというものではなくなっている
上記のような人が減ったともとれるし、あるいは、コンテンツ自体があまりに多様化しすぎて単純に人が分散しているからともとれる
一部の物好きな人間が編集し、その他大勢はその情報を見て楽をするだけ
なのでその一部の物好きのデータが間違ってても誰も気づかないし、編集もしない、そしてその物好きが更新しない限り新しい情報も入ってこない
(もしくはアフィサイト管理人が人気なソシャゲコンテンツのwiki作って頑張って運営しているタイプもある)
まぁ何にせよ、MTGにしてもゲームのwikiにしてもだが
恐らく8割9割以上の人間は、ゲーム自体は楽しんでいるものの、ある程度遊んだらその後の最適解は他人任せ、というパターンが非常に多い気がする
何かつまったらすぐに攻略wikiを見てフラグをチェック、スタンで大会に出たいけどデッキがないから晴れる屋のデッキリストをコピペして足りないカードをシングル注文、万事こんな感じである
別にこの方法を非難するつもりはないし、娯楽なのだから各々が好きなようにやれば良い
だが一度こういう流れになってしまうと、色々とコンテンツにとって不都合なことが起きてくるのも事実である
例えば、先駆者は常に一定割合いるものの、数が少ない
ビッグタイトルで母数が大きい属なら良いが、少なくなると、本当に数人しか道を切り開く人間がいない、なんてことも稀にあったりする
こうなると次第に目新しいことは減っていき、コンテンツは停滞する
また、誤った情報が拡散されやすいというデメリットもあるし、全員が同じことばかりやってて面白くないという間接的な問題もある
先駆者というのは常に存在するが、それに追随する、自分達で道を切り開こうとする、もしくは先駆者達が切り開いた道とは違う道を見つけようとする、探検者(エクスプローラー)の存在が、コンテンツには必要だと思う
そして最後に、享受者(Enjoy person)の三者がいて、コンテンツがなりたつ
間の探検者が少ない、もしくはかなり減っているのが現代娯楽の特徴なんじゃないでしょうか
ようするに皆もっとオリジナルデッキ作ろうや
コメント
・結局大会で成果出さないと表に出ない(=完成度が高くないとダメ)
・とりあえず考えた程度ではだいたい既に考えられてる(世の中にリストですぎ)
特に後者がやっかいすぎて自他ともに認められるオリジナルなんてそうそうなくない?特に以前から作られてるデッキですら、知名度ある人が調節した結果創始者認定されることはけっこーあると思うMTG界隈は
今のマジック、特にスタンダードでメタが停滞しやすいのは、結局のところPWを始めとするアドバンテージパーマネントが必ず一定数あるからです。速い話、いくら工夫してオリジナルを組んでも、各種プレインズウォーカー、アズカンタ・アルゲールでカード引きまくったら処理出来てしまう。アグロにもちょっと前の屑鉄場のたかり屋、今もフェニックスや実験の狂乱という処理に困るカードがある。その辺を叩きつけるデッキが結局勝つんですよね。
>大切なのは作る過程
完全に同意です。
強いデッキをコピーして、大会で勝つことに情熱を燃やしたり、誰も思いついていない組み合わせを見い出すことに情熱を向けたり、色んなアプローチで関われるのがMTGの良いところですが、
僕はどうしても勝ちたいわけではなくて、趣味の知的遊戯としてMTGに関わるのが好きなので、可能な限り自分なりの創意工夫を楽しみたいなといつも思っています。
ネットの一般化による強いデッキの共有は、結果的にMTGの作業ゲー感を高めてしまうので、プレイヤーコミュニティの観点から見ると危険な面もあるなと、考えていました。
ハリーさんの日記にいい感じに言語化されてて琴線に触れ、コメント残させていただきます。
1、勝てない勝ちたいコピーする人になる
オリジナルデッキで勝ちたい。でも周りは強いデッキのコピーばかり。オリジナルで荒削りなデッキでは太刀打ちできない。面白くない。オリジナルでは勝てないのではないかという結論になり、勝ちたいからリストコピーする。
2、Tier1じゃないデッキはコミュニティで相手にされない場合
オリジナルデッキで気軽に遊ぶエンジョイ勢を馬鹿にする人がコミュニティにいて、練習にならないからと鼻で笑う。気分悪いので身内だけで遊ぶようになるかmtg止める。
3、時間消費量が半端ない
数ヶ月単位で新カードリストが追加され、それらを把握検討実践点検をする時間と意欲は相当量。勝利の快感報酬を得るには(1)のせいでコストがものすごくかかる。別ゲーやる。
昔、征服王というMTGの大会がありました。そこではオリジナルのレギュレーションで戦うフォーマットがありました(毎回変わるフォーマットと、自分でレギュレーションをデザインするMB2.0の二種類)。攻略情報なんて一切無いので、毎回デッキ作るの楽しかったです。対戦相手の使うカードでそうくるかー!という驚きと、自分の発見で相手を絶望に叩き落す爽快感。
手っ取り早くないのと手っ取り早いのとで、どっちが好かれるかと言うと…
でもこの話の主題って自分じゃなく他人じゃん:(
>>こうなると次第に目新しいことは減っていき、コンテンツは停滞する
ことを防ぐにはオリジナルであると他人に認められないといけないし。どんだけ自分がオリジナルだと思っても既存と似てたら同じ停滞起こるよ
ということが言いたかった! おしり
明確に強いカードが多いですからね、どうしてもそれを使わざるを得ない
特にPWはずっと環境に速攻が少ないのもあって余計に強いですし
1:2交換できるカードに1:1で挑んでも負けるのはある意味当然っすな
>linden hausさん
初めまして
時代の流れですからね、この潮流を止めることはできないと思います
僕らにできることはデッキを作ることくらいです
オリデッキで優勝したいなぁ・・・
>オレンジ君さん
さかな君さんみたいになってるけどまぁいいや
大体その3つでしょうね
僕は4つ目として、単純に考えるのが面倒な人の層がいるのもあげられると思いますが
>twelve01100さん
別に解決すべき問題でもないですし、どちらかにせよってわけでもないんですけどね
コピーだってしたらいいし、デッキも作ればいい
でもオリジナルで作る人がいなくなると結局困るのは自分らだぜって話で
そりゃまぁ、今はプロが作ったデッキがすぐ公開されますけど
それじゃアマプレイヤーは何のために遊んでいるんだって気もします
>まつかささん
紛らわしくて申し訳ないけど、これは僕のオナニー日記で特に問題解決は主眼としてないのよね
こうなると停滞してくよねって話だけどそれを防ぐのはワイにはたぶん無理や
だからこの話は他人、というかあるコミュニティという属を主題に置いてる風に書いてるけど、その実主題は自分、つまり自分はこう思っててこうしたいと思ってるって書いてるだけなのよね
それに、僕の考えではオリジナルデッキを作ると、それが既存と似てることはあっても全く同じものにはならないので、そこから新たな芽は出ると思っている
例えば前のティムールが割と流行ってたイニスト環境のスタンの時、僕がサイドにミラーやギアハルク対策に入れてた「もう一人の自分」は出すたびに相手がテキスト確認してくるくらいにはマイナーだったけど、とても活躍してくれたし、相手も「こんなカードあったんだ」って人もちらほらいて、少しは影響与えられたかなと思う、そんなもんでもいいのよ
>ジ
毎日やっとるで